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2017-08-18

20170810-生きる 32P1.0万文字

戦中戦後を必死で生きてきた「俺」。その人生をつづります。本人が書いて欲しそうなので書きました。かなり脚色していますので、信じないように。それから、話し言葉は広島弁に脳内変換して読んでください。





 気がつくと、いつもひもじかった。三歳の俺は母に手を引かれいつもこの長い坂を登っていたように思う。しかし、この坂を登り切れば美味しいお菓子や料理が腹いっぱい食べられる。そのことは、幼い俺にもわかっていた。疲れて母を見上げると、とても辛そうだった。俺は心配になって手を強く握る。すると、母は大きなお腹をさすって笑いかけた。
 幼かった俺が歩いてやっと行けるところに親戚の家はあった。どういう親戚かはわからないが、たぶん母の兄弟だと思う。その家は立派な洋館で、きれいなバラがいつもプランターいっぱいにあふれていた。そして、その親戚のおばさんは高そうな洋服を着て、きれいに化粧をして、いつもやさしくほほ笑んでいた。
 だから、俺はこの

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