3月12日 『子供たちとの再会、そして・・・』
2011-05-16
3月12日 『子供たちとの再会、そして・・・』
前日の夜中に愛子小学校に連れて来られ、まだ目の前で起こった事が信じられないのと、体を突き刺す寒さでほとんど寝る事ができないまま朝を迎えた。
震災が起きてからまだ家族に連絡がつかない・・・
しかし明け方に運良く会社の社長と連絡がとれ、そこから避難場所である愛子まで迎えに来てもらえ、着替えを借り名取市役所に向かう事できた。
市役所はみんな情報を求めてすごく混雑してたが、いとこの叔父・同級生・知り合いとかに会い、お互いの状況を話しながら少し元気を分けあった。
依然として家族の安否が分からない中で行く場所もなく、情報も市役所に集まるということだったので、叔父と行動を共にしながらずっと市役所にいた。
市役所内のテレビには津波の被害が映っていて、若林区で200~300の遺体がすでにあり、閖上小・中含め至るところで避難した人が孤立しているということだった。
それを見て不安で不安で仕方なかっ