「フンドシ祝い」とは「筆下し」の意味だった
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赤松の育った播磨の農村では、男の子が13歳になるとオバかそれに近い女性からフンドシを贈られ、それを「フンドシ祝い」と呼んだそうです。
それまではパッチを履いていたのが、フンドシを締めるようになると一人前ということになり、フンドシを贈ってくれた女性を相手にその晩、性交する習慣があったといいます。
ただし、可愛い男の子は「フンドシ祝い」をする前に村の女たちに誘われて「筆下し」を済ませてしまうことも多く、赤松も10歳のときに近所のオバハンに誘われて初体験を済ませたそうです。
実際に射精したのは11歳になってからだといいますから、精通が始まる前に女性とセックスしていたことになります。