つうか
2010-05-28
通化事件(つうかじけん)とは1946年2月3日に中国共産党に占領されたかつての満州国通化省通化市で中華民国政府の要請に呼応した日本人の蜂起とその鎮圧後に行われた中国共産党軍と朝鮮人民義勇軍南満支隊(李紅光支隊)による日本人及び中国人に対する虐殺事件。中国では二・三事件とも呼ばれる。
当時は、先に進駐していた朝鮮人民義勇軍と延安からの正規の中国共産党軍を中国共産党軍または八路軍と包括的に呼称したり、朝鮮人民義勇軍は新八路軍や朝鮮八路とも呼称された。ただし、中ソ友好同盟条約によって満州で中国共産党が活動することは許されていなかったため、東北民主連軍などと称していた。正規の中国共産党軍は軍規が厳しかったが、元朝鮮人日本兵や現地の朝鮮人などで構成されていた朝鮮人民義勇軍は、略奪・強姦などをおこなった。
・背景
通化は終戦時に中華民国政府の統治下に置かれ、満洲国通化省王道院院長を務めた孫耕暁が国民党通化支部書記長に就任し、満州国軍や満州国警察が転籍した中華民国政府軍によって治安が維持されていた。
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