「最後の手段」のみ
----/--/--
戦災孤児の女の子たちは、残念ながら悲惨だったらしい
子供だけではなく、20代前半までの「身寄りの無い独身女性」は
収入を得る手段は「最後の手段」のみだったらしい
叔父が昭和20年代後半「赤線」に通っていた頃には、そういった女性が沢山居り、色々話を聞いたと。
それでも各自が部屋を持ち、アパート暮らしの若妻といった印象だったと。
茶箪笥があり火鉢があり、ラジオがあって鏡台があって・・・
馴染みになった女性の部屋へ上がると、浴衣・丹前が用意してあり、
風呂から上がれば冷たいビールと小鉢があって、
夜が更ければ夜鳴きそばを取ったり