生きてこそ(つづき)

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2011-12-16

378 372 sage 2011/12/05(月) 16:07:42.04 ID:??? 
 
 なんか需要があったので。 
 
 通信兵として青森にいた祖父。 
 大空襲後も、毎日のように米艦載機が飛来。対空戦闘要員が足りず、祖父の居た通信隊も防空戦闘に駆り出された。 
 対空兵装が不足し、部隊に与えられたのは三八式、九九式短、訓練用木銃、あと重機関銃が少し。 
 
 戦闘なんかやりたくない通信隊の面々。 
 身を隠しながら戦いたくても、空襲後の焼け野原に遮蔽物なんてない。 
 
 そこで編み出された、ある妙案。 
 
 内容は背中にトタン板を背負って、艦載機が向かって

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