エロ満載、天下の五奇祭
----/--/--
奈良時代以前からこの国の基盤を形成していたさまざまな性風俗は、国家が整備されるにつれて、国の繁栄を寿ぐセレモニーへと変質した。
男女が歌を交わしながら性関係にいたる歌垣は、踏歌かと呼ばれてエロティシズムとは無縁の皇室行事になったし、田植えも豊作祈願と称して男女の性交の姿を演じたり、場所によっては豊作祈願を口実に、実際に性関係を結ぶケースが見られたが、皇室行事として定着した結果、御田(おた、またはおみた)祭りという色っぽさの削がれたイベントになった。
しかし、「エロ」抜きの祭りが国家の行事として定着する一方、庶民の間にはあらたなエロの祭りを創ろうとする動きも活発になった。
『八雲御抄』は順徳天皇の著書で、鎌倉時代の1200年頃に成立したものだが、そこに「天下の五奇祭」として挙げられた祭りは、いずれも平安時代に生まれた新しい性の奇祭であった。
五奇祭とは「江州筑摩社の鍋被り祭り、越中鵜坂社の尻叩き祭り、常陸鹿島神宮の常陸帯、京都・大原の江文社の