滅亡の帝国と捕虜の美少年たち②

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15世紀、オスマン帝国のメフメト2世により、東ローマ帝国コンスタンティンノープルは過酷な包囲攻撃の末陥落し、兵士も市民も成人男女は一人残らず首を切られ、遺体はポスボラス海峡に投げ込まれ、可愛いく、美しい美少年、美少女のみ捕虜にされた。

少年、少女たちはイスラム教に改宗を命ぜられ、拒否した子供たちはむごい輪姦のあげくに殺された。

美少年たちはメフメト2世や将軍たちの男色の相手にされ、徹底的にその美しい体を弄ばれ、慰み者にされてから、運の良い美少年のみイエニチェリ軍団に引き渡された。
そこでまた凶悪な兵士たちに輪姦され、ほとんどの美少年たちは命を落としたと言う。

美少女たちはやはり処女を重んじるイスラム教により、オスマン帝国の支配者階級にあてがわれ、処女を犯され、連日のように激しいセックスの相手にされて無理やり妊娠させられて、何人もの子供を産まされる。

産まれた赤ちゃんはオスマン帝国の財産として母親から取り上げられて、特別な施設に送られ、やがてイニチュエリ軍団の兵士にされます。

さて、捕らえられた東ローマ帝国の宰相の一人息子のサリー少年


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