海女のふんどし
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現在は、廃れてしまったが、かつて海女(あま)の労働着であった能登半島の先端に位置する舳倉島(へくらじま)の「サイジ」と呼ばれるふんどしの資料を入手した。
現在、女ふんどしが売り出されて話題を呼んでいるが、昔は、海女(あま)の労働着として、腰巻きと共にふんどしが使われていた。
日本のあちこちでその例が見られるが、能登半島の先端にある舳倉島(へくらじま)の「サイジ」と呼ばれる海女ふんどしは、その代表例である。
漁法が未発達だった時代の海女は「赤い湯巻き(腰巻き)」のみだったのが、明治大正に真珠取りで世界的に海女が知られるようになり、「赤い腰巻きに上半身裸というのは蛮風で恥ずかしい」となって、変わっていった。
ただこの「蛮風で恥ずかしい」は海女達自身から出た羞耻心ではなくて、「帝国日本が野蛮な後進国と思われたくない」という先取先進な世論(新聞など)によるものだとかで。