札幌の本上まなみ
2011-10-21
東の空に立ち昇っていた黒い入道雲がコンビナートの火災によるものと知ったのは随分後になってからだ。
僕が高校卒業以来3年勤めていた事業所は建物の骨格を残し消えた。働いていた従業員は避難して無事だったが、外回りの営業さん、配送中の先輩、それらが帰ってくるのを待った部長は2度と会うことはなかった。
僕らが被害を免れた倉庫から生活に必要なものを探し出し、避難所に運んでいたうちに、社長が会社の大金庫を汚泥の中から探し出し、中にあった現金を均等に従業員に配分して全員を解雇した。社長の最後の指示は極めてシンプルであり、「各自生きなさい」と言うものだった。
避難所に身を寄せて、様々出来ることを探したが、4日も経過すると自衛隊の方々が、しっかりサポートしてくれるようになり、僕に出来ることは少ないように感じていた。
ようやく電源が安定的に確保でき、携帯が繋がった時に、一通のメールが届いていた。
小学校の同級生の「マドカ」からだった。2年前の同級会で偶然隣の席になってメルアドを交換