「性の風景‥窃視Ⅱ」
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(Ⅰより 承前)中学の終わり頃には 日支事変が太平洋戦争に拡大し、戦況が苛酷になるに連れて 中学生も学徒(勤労)動員に狩り出されました。私も飛行機の部品工場で 三交替で旋盤を使うことになり、休憩時間などには からかい半分に工員の人達が「女と ヤル」ときの話をしてくれます。そのときは一応「フ-ン」と平気な顔で聞いていますが 家に帰って寝床に入るともうダメです。妄想で頭が一杯になり どうしてももうマスになります。私は父を早くに亡くして ずっと母と二人で暮らしで、ほかに 下宿人が居るという生活でした。
寝るのは母と同室でしたから マスを掻くにも方法に困りました。いちいち催すつど 便所へ行くのもイヤで、その頃のマスは ペニスが勃ったらチリ紙二つ折りを三枚重ねてパンツで押さえ込み、俯せに寝て 掛け布団か敷布団にコスリ付けて腰を使うというヤリカタでした。この方法は 暫く続けていたら、何だか ペニスが扁平に潰れてきたような気がしてやめることにし、上向きに寝て 左手で布団を動かないように中から支え、右手で筒を造って ペニスをシゴク方法に変えました。
その自宅が 敗戦の年の5月に戦災で焼けてから