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射精した息子の精液をウエットティッシュで拭き取ってあげた後、私は息子の前に座り膝を立てました。見ててね
、ママのタイツオナニー。私は息子に股間がよく見えるように、膝を広げて指でタイツ越しに性器を触りました。息子の言う通り、タイツ越しに性器を触ると、いつもと感じ方が違います。ナイロンの生地がマイルドな感触をもたらす一方、快感がタイツで増幅されるような感じで、私の身体も息子と同じくビクンとしました。
そんな私のタイツオナニーを息子は目を凝らして見ています。割れ目に沿って指を動かしながら、クリトリスを触り快感を高めていきます。クリトリスは女の人のおちんちんなのよ、と教えると息子は顔を近づけました。50デニールの程よい薄さのタイツなので、私の性器は透けて見えます。息子は女性器を初めて見て、エイリアンみたいだと感心していました。
指でクリトリスを丹念に刺激し固くしていきます。クリトリスが勃起すると、私の割れ目はすでにヌルヌルになってきました。私はタイツの中に手を入れ割れ目を開いて見せてあげました。息子はすげえ、おまんこすげえと喜んでいます。ママのここ、ビラビラになってるでしょう
若き頃、馴染みのご近所さんが経営する民間託児所で人手が足りないのでコレといった仕事はしなくていいので夕方から深夜にかけて預かった子供達の面倒を見てくれってアルバイトの話を持ちかけられました。資格もなければいざって時の対処法もわからないって断っていましたが時給の良さと暇つぶしを兼ねての週2〜3で手伝う事としました。対象児童は新生児〜お預かりって事でしたが実際は3歳から7〜8歳の子供達が数人程度が定期で預けられる感じでした。男女比率は5:2で女児を預けていくパターンが多い感じでした。話すことも遊ぶ事も男女分け隔てなく同様に相手出来るのがラクでした。一番ラクな時は最年長の8歳の女児が来た時。子供なりに場を仕切ってくれるので唯一息抜きできるというか手を抜けるって事でした。男児には全く興味がなかったので対峙してる時の話は省略しますがやっぱ男ですから女児相手に重きを置いていたと思います。そんな中、8歳女児美穂ちゃんが来た時は歳下児童は美穂ちゃんの命令には絶対服従的な統制がとれていました。コレと言って別段可愛いわけでもない極々普通の女児でしたが何故か美穂ちゃん以下は親分子分の関係性が構築されていました。そんな美穂ちゃん
あるサイトで知り合った女性、それがさくら。
いつでも生で中だしが出来る。そして巨乳、さすが熟女という感じで癖になっていった。
何度も会ううちに、さくらの携帯に俺の近所に住む奥さんの写真があった。
彼女はゆうちんと言いよく泊りで遊びに来るらしい。そして二人でサイトで会ったり、
そして別々の部屋でセックスを。そしてさくらはゆうちんのことがあまり好きではないようだ。
本当に暇な時だけ来てほしいのによく来すぎという。罰的なものを与えたいという。
ある日さくらから「ゆうちんとセックスしたくない?」そう聞かれ、近所に住む奥さんなんで
「やりたい」そう答えた。その代わり条件を出された。
それは悪魔の提案だった。
ゆうちんはゴムでしかしないので、ゴムに穴をあけて破って中だしをする。
セックスが終わるとゆうちんがゴムを確認するので、
ゴムに牛乳を少しだけ入れたものを用意してごまかす。
ゆうちんは、さくらが寝てることを確認するので、寝たふりをしてセックスを覗く
私は大学4年生で実家暮らしで家族は父と義母、義妹の4人です。義妹は高校1年で公立高校に通っています。義母は父より8歳年下で市役所の職員、父はIT関係の仕事で月の半分は在宅の仕事をしています。大学は時間割によっては朝イチの授業だけだったりするので昼間はアルバイトをしたり家で課題をしたりして過ごしています。
私が大学3年になった年の6月頃、私の大学と義妹の学校が行事の振替で休みで父も家にいて、いつものように自分の部屋で課題や論文の調査などをしていた時、隣の父の部屋からは音楽が流れていましたが、いつも父は仕事中に音楽を流すので何も気にすることなく作業をしていました。
ただ、曲の合間に泣き声のような声が聞こえた気がして耳を凝らしていたところ、女性の喘ぎ声のような声であることがわかり、初めはAVでも見ているのかと思いました。しかし、その声が義妹のそれに似ている気がして部屋を覗きに行ってしまいました。私の部屋と父の部屋はベランダで繋がっているので音を立てないようにドアを開けてベランダ伝いに父の部屋を覗いてみるとカーテンは閉められていましたが、隙間から義妹が父のベッドの上で股を開いて父のペニ
私は小学校から高校まで一貫校に通っていた。中学までは父の会社が学校の近所にあったので父と2人で電車に揺られて通学していたが、高校に上がってすぐ会社の場所が移動して一緒に通学できなくなった。
初めて1人で乗る電車は普段と何ら変わらないのに不安で仕方がなかった。それまで父に守られていたのが1人になって何とも心細い気持ちでいるとそれに追い討ちをかけることがあった。その日は雨が降っていていつもより駅が混んでいたがいつもと同じ快速電車に乗ることができた。この電車に乗ると学校の最寄駅まで乗り換えなしで行けるのだ。周囲は仕事に向かっている会社員や私と同じような学生などがひしめき合って乗っていた。
私はいつも扉横の手すりに寄りかかって窓の外を見ていたところ、途中の駅で多くの人が乗ってきて周りにいた人と密着した。正直、父以外の男の人と密着するのは不快でしかなかったが、我慢して最寄駅に着くのを待つことにした。
駅と駅の間で電車がゆっくりと走るようになり、車掌の案内によると前の列車がかなり遅れていると言うのだ。周囲は少しざわついたがかなり余裕を持って通学をしているので特に気にすることは
独身25歳の女性です。
名前はとりあえず鈴木(仮名)にしておきます。
昔の話ですが
私は中学の時に水泳部に入り、高校になっても当然の様に水泳部に入りました。
その水泳部にはマネージャーがいて泳ぎの動画とかを撮り、
後で皆で見て反省会と云うか
もっとこうした方が良い。
みたいなアドバイスを先輩から言われたり。
これは普通の事だったので何とも思ってなかったんです。
そのマネージャーは1つ上の男子の先輩で、ある地区予選に出た時にカメラで写真撮ってたけど何時もの事だし、皆で集合写真撮ったり個別に撮ってもらったり、後日それを見て盛り上がったのを覚えてます。
只その時、確かに私1人で撮ってもらったはずなのに無かったんです。
??
他の人のはあったのに。
それから数日後、1人で帰宅してる時にその先輩から声掛けられました。
どうしたんですか?
いや、この前撮った写真の事
なんだけどね。
私は都内の公立高校に勤める数学教師である。まもなく定年になるため、ここで、貴重な体験を告白させていただく。
実は公立高校は何年かで異動するため、進学校や底辺高などさまざま高校で教鞭をとってきたが、教師になって数年で棒商業高校の教師となった時のことである。その時、生活指導の担当になったことで、貴重な体験をすることとなった。以下はそこでの体験である。
バブル景気も来る30年以上の昔のことで時効なので、すべて告白させていただく。商業高校というのは当時女生徒のほうが圧倒的に多かった、男1に対して女5くらいの割合であった。生活指導の担当になったことで、当時勤めていた学校で噂になっていた、今でいう「援助交際」、女子高生売春を調査することであった。独身でもあり、部活も私の顧問が文化部であったことから、本格的に調査を実施することとなった。
噂はあるものの実態は全くつかめない、生徒にヒアリングしたところで、本当のことを言うはずがない、そこで、いわくつきで退学した生徒やいわゆる不良少女を追跡調査することとした。しかし、一向にしっぽはつかめない。近隣の飲食店等でのヒアリングやO
これは俺が高校2年の時の話。
俺が通っていた高校は、地域でも有名なダメ高校だった。でも専門一次っていう普通の受験より少し前に行われる入試が設けてあって、それだけは倍率がとても高く、あまりに学力が低い場合は難しいというもんだった。
俺は一応その一次ってので入学した。だから、生徒の気色もヤンキーまがいとソコソコまじめにやってる奴と綺麗に分かれる…そんな学校だった。
正直、楽しいとは言えない学校生活…でもそんなクソ状況を一変させるモノがあった。
それは…俺がある女の先生に興味が湧いたという事。
その先生は家庭科の教師だった。(俺が入ったのは服飾科のような系統で、男女問わず裁縫などの授業がある)
当時はまだ26歳で、教師の中ではかなりの若い先生。他にいた年中スッピン女の教師とは違っていつも嫌味のない自然なメイクをしていて、柔らかそうな長い髪をいつも後ろで一つに束ねている髪形がトレードマークだった。
スタイルもソコソコよくて、胸も結構大きい。
一般的に見て美人といえる先生だった。
授業を受け持ち
20世紀末、
高校1年5月、宿泊訓練が行われた。
夜、班ごとに何か催し物をすることになり、僕の班は仮装をすることになった。
「上條、お前女装な」
小柄で華奢で気弱な僕は、女装をすることになった。服は同級生女子の中学の制服を着ることになった。
大きな部屋で、催し物が行われることになった。
「上條、M字開脚で座れ!!」
「え、でも、スカート穿いてるし」
「盛り上げるためだ。M字開脚しろよ」と脅された。
僕はブリーフだった。
僕の番になり、全員が見ている前で、座ってM字開脚をした。
全員が大爆笑。女子達も笑って見ていた。
戻ると「冗談で言ったのに、マジでM字開脚するとは思わなかった」と言った。
風呂の時間になった。
「じゃあ行くか。上條、お前も来るか?」
「え、どこに」
「女子の部屋だよ。上條も来い」
女子の部屋に行き、バッグの中を開き、パンツとブラジャーを見た。
僕ら
高三の妹の処女をもらったときのことを文章にしました。
10年以上前なのでかなり曖昧なところもあると思います。
あまり脚色しないで書いたのでおかずにはならないかもしれない。
俺たちは最初は二人兄妹だった。
小4のときに両親が離婚、俺が中1のとき親父が再婚した。
親父は30後半で継母の人が20前半だったと思う。若い女の人だった。
親父の仕事関係の人で結婚したときにお腹に異腹妹がいた。
その後に2年くらいして父と継母の間に異腹弟ができた。
うちは祖母がいたんだが頭が悪くて意地が悪い人だったと思う。
俺の母も結局は祖母のせいで出ていったんだろうなと思う。
高1のときに親父が仕事中の事故で死んだ。
そのとき乳児だった弟は父の顔もほとんど知らない。
継母には恨みはない、父がいなくなってからよく一年耐えたと思う。
その継母は高2のときに一人で出ていってしまった。
高校のときは祖母と俺と妹と異腹妹と異腹弟になった。
高校を



